小規模酪農家はずっと生産量を守ってきているのに、国が設備投資に補助金を出して、メガファームがどんどん規模拡大して、生乳が過剰になった。なので、すべての酪農家が減産してください、牛を減らしてください、と号令が下った。
それは納得がいかない!拡大したメガファームが責任取れよ!と言いたい気持ちはわかる。でも、それは「今」だけを見た勘違いだろう。日本の酪農はメガファームに守られてきた側面も、一部はあると思う。
メガファームだけに非があるわけではなしい、今や生乳生産の基盤は中~大規模農場によって安定している側面があるのではないだろうか(詳しくは後述)。
だからといって小さい農家を減らせという話ではなく、小~大規模まで多様な事業者がいた方が業界にとっては良い。何より家族経営の酪農家は好きだ。(ちなみにうちの顧客はほぼ小規模家族経営農家ばかりだし、それを誇りに思っている)
しかし矛盾するようだが酪農家の戸数は減っていくし、減ることが健全だと思っている。
【何がメガファームのおかげか】
かつてバター不足が世間を騒がせ、連日大騒ぎでバターの輸入拡大に向かいそうになった。そこを農水省は【生乳増産】の政策で踏みとどまらせた。設備投資を推進してメガファームのさらなる大規模化が進んで、一気に生乳を増産したおかげで、「バターの輸入解禁で国内酪農家が壊滅するシナリオ」は免れたとも解釈できる。
【大局の理解】
乳牛飼養頭数は1990年頃から減少していたのが2017年から増加に転じて、さらに1頭あたりの生産性も向上した。結果、供給が需要を上回った。これは酪農に限らず産業政策では避けられない「波」であろう。
酪農家が国営でなく自由に経営体できる限り、国は間接的にしか介入できない。時間と共に情勢は変わるが政策は途中で簡単に変えられない、必然的な歪みが起こる。
これが「メガファームのせいで」と考える人が出てきてしまう背景ではないだろうか。
非常に切ない。
【農水省の苦悩】
農水省は、生乳生産が足りないと「バター不足」の大合唱で輸入拡大を迫られ、供給過剰になると失策と批判される。しかし、足りない時に政策を作って、施行まで時間がかかり、緊急で不足から脱しないとしけないのに、いつ過剰になるかわからない上に途中でブレーキを踏めない。
また、カレントアクセスついて解説が出回っているが、バターや脱脂粉乳の輸入について「義務ではない」という話も誤解で、事実上は義務だ。WTO協定に「義務」とは書かれていないが、ガットウルグアイラウンドの多角的貿易交渉で日本が約束した内容は義務と解釈される。
国会答弁で、WTO協定に「義務」とは書かれていない、と回答してしまった所だけ拡散されてしまった。
別な背景もある。
加工向け生乳は取引価格が安くならざるを得ないため、国内のチーズやバターをすべて国産にすると酪農家の収入はむしろ激減して、さらなる離農の加速からの減産、結局は今以上に乳製品を輸入するハメになる(酪農家のためには全然ならない)という背景で、一定量の乳製品は輸入し続けて国内生乳生産の飲用向け比率を絶妙なバランスで守っているのだ。
まとめ
ということで、製菓業界や小売業者からの「バター不足!」の声は農水省にとって危険信号で、トラウマだ。
過去の生乳生産不足を賄うための増産を主に担ったのはメガファームであり、乳製品の輸入拡大を免れたのではないか。しかし、その増産が今は仇になって全員が冷飯を食わされているので、不満が高まってしまった。農水省も酪農家を守るために乳製品の輸入を続けるという、一見矛盾に見える施作のために批判されている。と私は理解している。
いろいろ書いたが、メガファーム礼賛ではない。経営の大小に決して優劣などない。それぞれ役割があるから、誰が悪いという話ではなく、個性豊かで多様な経営体の生態系を作っていけるよう支え合っていきたいという話。
久松達央氏の近著「農家はもっと減っていい」から以下引用を。
農業はその時々の政策に翻弄されます。しかし、本来政府は自由で多様な農業経営を可能にするために我々が雇っているのであって、政府の方針に沿って農家が存在するわけではありません。農業経営は規制で守られるのではなく、真剣勝負の中でこそ輝くものです。